tetok’s blog

母を嫌い。そんな自分が嫌でした。病気を抱え辛い毎日。母を恨むしか思い付かない。

私の子供の頃。

 

 

今日は私の子供時時代。

 

小学校に入った頃から父親の暴力が私にも始まり、

毎日が父親の機嫌を伺う感じで家に居るのが嫌でした。

 

父が休みの日は母と私を連れてパチンコ店に行く。

父も母もパチンコに夢中。

私は一人でウロウロして終わるのを待つ。

昼になっても二人は全くお構いなし。

お腹が空いても言えない、夕飯まで我慢。

 

パチンコで負けた時は二人とも機嫌が悪く私はまた

殴られるんじゃないかとドキドキしていた。

逆に勝った時は、今で言う居酒屋の様な所で食事をする。

何が食べたいと聞かれて、食べたい物を言うとケチ

付けられて結局は父が選ぶ卵焼きや唐揚げ。

聞かなきゃ良いのに。

毎回、そう思ってたけど答えなきゃ家に帰ったら

殴られる。

 

 

小学6年生の夏休みが終わる頃。

父の妹、叔母が家に来た。

私は前日に父に殴られ泣きはらした顔でいた。

叔母とは年に数回しか会っていなかったが、会う度に

可愛がってくれた。

叔母が来るのが分かると嬉しかった。

 

その日、叔母は近くまで来たついでに家に寄った。

私の泣きはらした顔や木製の物差しで叩かれた跡が両腕に

あるのを見て、母を問いただした。

 

 

父が母に暴力を振るっていた事は叔母も知っていた。

父に幾度となく改める様に話してくれていた。

 

叔母が私にも何があったかを聞いてくる。

でも、叔母に言ったら父にまた殴られる。

母でさえ助けてはくれないのに、叔母だって助けては

くれないと話せなかった。

 

 

叔母は一緒に来て待たせていた自分の夫を呼び、私を預けた。

私は叔父と自宅から近い喫茶店に行き、好きな物を

食べなさいと言ってくれた。

注文をして待つ間、叔父が泣きはらした顔を撫でてくれた。

その時に、涙が出た。

 

 

叔父に話した。

全部、話した。

 

泣きながら食べたホットケーキは味が分からなかった。

 

叔父は私が食べ終わると直ぐに立ち上がり自宅に戻った。

父が仕事から呼び戻されていた。

叔母が泣きながら話して居た。

 

 

叔父が割って入り「最低な親だ。警察に言うか俺に預けるか

          どっちかにしろっ」

 

叔父が言った。

黙る、私の親。

 

私は叔母と叔父の家に。

ただ叔母たちは他県に住んでいたので学校の問題もあった。

私は親から離れられた喜びと、逆に言葉にならない複雑な気持ち。

自分の居場所がなくなりそうで怖かった。

 

 

思い出すと辛い。

叔母と叔父は子供が居なかったのもあり、私を我が子の様に

可愛がってくれました。

二人が居なかったら私は今頃、いなくなってたかも。