tetok’s blog

母を嫌い。そんな自分が嫌でした。病気を抱え辛い毎日。母を恨むしか思い付かない。

叔父と叔母

 

 

私を12歳から18歳まで育ててくれた叔父と叔母。

叔父は私が結婚をした年に亡くなった。

まだ50代前半で若かった。

心筋梗塞、突然で連絡が来た時は信じられなかった。

 

叔母は叔父の死から約2年後、胃癌で半年ほどの

闘病生活で亡くなった。

二人とも50代と言う若さで本当に私は何も恩返しが

出来ないまま。

 

叔父は私の結婚式で父親代わり。

衣装替えをして入場する時に手を繋いで歩いた。

新婦の両親への手紙は叔父と叔母へ。

二人は涙を流して聞いてくれた。

 

私の1人目の子供は叔母の家に帰って叔母の元で

産んだ。

叔母は闘病中で居たけれど、叔母が望んでいて

くれた事。

病院も近くには無かったけど願いを叶えてあげたかった。

 

子供の名前は叔母と一緒に考えて決めた。

とても喜んでくれて私も嬉しかった。

 

叔母の具合が日に日に悪くなり、私の住む所の近くの

病院に叔母を入院させて側に居た。

子供が1歳になる直前に叔母は亡くなった。

 

私が結婚をして子供を授かって、幸せになれた姿を

見せられて安心してくれたと思う。

でも、2人が私にしてくれた事は本当に大変な苦労

を伴い心労もあったと思う。

 

早すぎる死、私はかなり落ち込んだ。

 

叔父の弟が居て、子供に恵まれなかった2人に私が

居た事は本当に幸せだったと言ってくれた。

私の結婚式で見せた涙も本当に嬉しそうだったと。

 

 

結婚式前、両家の挨拶の日に叔父と叔母が私の

親として行く時。

出掛ける直前に、叔母が「こんな日に私達が参列出来る

なんて嬉しい。有り難う」と、3人で抱き合った。

 

私には当たり前の事だった。

でも、叔父や叔母には複雑な思いがあった。

 

自分の本当の親よりも大切な人達だった。

親子の絆。

叔父と叔母と私は今でも繋がっている。

 

この世で1番嫌いな母親と一緒に暮らす今。

絆でもなんでも無く、世間体としがらみと

不運が重なった。

 

私は叔父と叔母が居てくれたから、犯罪者にも

ならなくて済んだ。

もし、2人が居なかったら。

私は殺されて居たかもしれないし、その逆だったかも

知れないと思う。

 

 

今でも、叔父と叔母に会いたい。